の御方針は一定不変であっても、天地経綸の司宰たるべき奉仕者の身魂の研不研の結果
よって変更されるのは止むをえないのである。
神諭に、
 「天地の元の先祖の神の心が真実に徹底了解(わかり)たものが少しありたら、樹替樹直しは
 立派にできあがるなれど、神界の誠が解りた人民が無いから、神はいつまでも世に
 出ることができぬから、早く改心いたして下されよ。一人が判りたら皆の者が判って
 くるなれど、肝心のものに判らぬといふのも、これには何か一つの原因が無ければな
 らぬぞよ。自然に気のつくまで待ってをれば、神業(しぐみ)はだんだん遅れるばかりなり、心
 から発根の改心でなければ、教へてもらうてから合点する身魂では、到底この御用は
 務まらぬぞよ。云々」
 実際の御経綸が分ってこなくては、空前絶後の大神業に完全に奉仕することはできる
ものではない。御神諭に身魂の樹替樹直しといふことがある。ミタマといへば、霊魂の
みのことと思ってゐる人が沢山にあるらしい。身は身体、または物質界を指し、魂とは