巻の或る一点を読めば全巻の精神が判るはずである。本書の基本宣伝歌三章だけで
も全部の大精神が判る。教祖の書き残された一万巻の筆先も初発に現れた、
 「三千世界一度に開く梅の花艮の金神の世になりたぞよ。須弥仙山に腰を懸け世の
 元の生神表に現れて三千世界を守るぞよ。神が表になりて上下運否の無きやうに
 桝掛ひきならして、世界の神、仏、人民の身魂を改めて弥勒の世に立替立直して
 天地にお目に掛ける云々」
の神示で全部の御経綸や大神の意志が判るものであります。キリスト教の聖書だって、
「神世界を創造たまへり。又初めに道(ことば)あり、道は神なり、神は道と倶にありき、万物
これによって造らる」の聖句さへ腹に畳み込めば聖書の全体の精神が判るのである。た
とへば茶室の中に一輪の朝顔が床柱に掛けてあるのも、見やうに由って茶室内は愚か
天地全体が朝顔化するものである。凡て物は個体に由って全体が摂取され得るものであ
る。華厳経の一花百億国とは、一微塵に三千世界を包むといふの意義であります。
こういふ見地に立った時は、何ほど大部の本書もただ一章の註釈に過ぎないのであり