また、昭和十九年から一年間で約3,600個を生み出された耀碗は獄中にあって構想されていた天国を
具象化したものである。
王仁三郎聖師の目指した世界こそ地上天国樹立なのだ。
地元由布院はもとより、遠くは東京や静岡からも参加者があった。インターネットで情報を知り来場
される方もあり、会場は連日なごやかな聖師さまに包まれた雰囲気であった。
毎日午後2時から約40分間程、出口信一先生の作品解説があり、大正十三年の入蒙の話や、杖立で
書かれた”みてしろ”の話などもあり、王仁三郎聖師の生涯と芸術作品との関連性を認識する機会とも
なった。
殊に今度の作品展では日本救世主教の中津留本部長ご夫妻の献身的なご活躍があって初めて成し終え
ることが出来た。また日本救世主教の信徒有志の方々が会場スタッフの為に毎食心のこもった食事を作
っていただいたことは感激に至りである。
そして地元の大久保家のご家族の細やかな心くばりが今度の作品展を支えていたことを報告しておき
たい。
九月二十七日から十月三日までの一週間、大分県の由布院で出口王仁三郎芸術作品展が行われた。
由布院は温泉地として知られているが近年は街づくりが成功して若い女性に人気のスポットとして
九州以外からも多くの観光客が訪れる観光地である。街の北側には由布岳1,584mがそびえ立ち、街
を包みこむように存在している。
山麓には金鱗湖が広がりその
いる。
また、街の西山の麓には
されている街といえる。
出口王仁三郎 芸術作品展 in 由布院 報告
2007.9.27〜10.3
今回特に感じたのは王仁三郎聖師のお作品にはメッセージ
や予言が示されているということであった。
半切の紙に水で書き、その後うす墨の筆でなぞって字を浮き
あがらせる書方(水書き)で書かれた書が展示された。
「月雲を出でんとす 王仁」と書かれた書は昭和17年8月、
大阪の未決から出られた王仁三郎聖師が亀岡の中矢田で書か
れたものである。
六年八月の長きにわたる投獄生活を終えて書かれたもので、
ご自身の出獄の意味と、日本の敗戦を暗示されたものである。
またこの時「日雲に入る」とやはり水書きの書を書かれて
いる。この”日”はまさしく戦後天皇の人間宣言を予言して
いるといえる。
この由布院に住む大久保昌信さん(83才)が大天主大神をご自宅に鎮祭されて本年で三周年を迎える。
大久保さんはこの三周年の記念として王仁三郎聖師の作品展を由布院で開催することを昨年提案され
た。
会場さがしや広報活動を今年に入り本格的に始動しはじめ、由布院の観光協会の協力も得ることが出
来、ようやくにして九月二十六日搬入を終え、開幕を迎えた。
今回の展示作品は、耀碗約20点、ご神像図、山水画、書、短冊、色紙など約20点が展示された。
開幕に先立ち期間中の無事故と成功を祈願する祭典が行なわれた。