ランドマークタワー101は高さ508m  390mの展望台から見た台北の夜景

霊泉郷

草山別院(台湾別院)跡

元松田氏宅であったとのこと。温泉地であり硫黄の匂い漂い、ラジウムも含まれるとのこと。

「天地の 恵み うつくし 露の玉」
霊泉郷の碑の前の人家に入れて頂き、その庭に有った。

弾圧によるものか、側面の文字が埋められていた。

 現在の地名は陽明山。霊界物語28巻のカールス王が王都を築いていたところだと聖師が言われた所。
つまりは政治の中心だった所。

 左に紗帽山、右に七星山が見える。現在台湾銀行の土地であり、その場に居た台湾銀行の人の話によると
風水上大変場所の良いところだそうだ。

「霊界物語」の舞台を行く台湾の旅  報告
                
2009.5.5〜8

                   台湾独立祈願祭祝詞

 南海に浮かぶ四海浪うつ神の国 高砂島とたたえられし台湾の只中なる此の清処(すがど)日月潭に神代より永遠(とわ)に鎮まり坐す

大本天主大神(もとつおやすめおおかみ)又大地の守護神(まもりがみ)なる竜世姫命の御前に慎み敬ひ(かしこ)(かしこ)みも白さく

 抑々(そもそも)高砂島は国祖国常立大神此の地の上を創造(つくり)給ひし(みぎり)金竜の勇姿(すがた)()りて地を翔りてくらげなす地の上を創り固め

大八洲の国の神実(かむざね)と成らせ給ひし時由其が冠と生れし国土(くに)にして豊葦原の瑞穂の国の胞衣(えな)と創られし神島なりけれ 

国祖大神は真道彦命を幽事(かくりごと)御祖(みおや)と定めおきて天使花森彦を八王の神顕事(うつしごと)御祖(みおや)任命(まけ)給ひ蒼人草を浜の真砂の如く

潘殖(うまわり)増やし給ひて平穏(おだい)なるみ国と成し給ひしかど上津世(かみつよ)に唐国の教えはびこりきたりて人の精神(こころ)は漸くにして邪神(まがかみ)

真理(ことわり)に移ろひ国の政治(まつりごと)も麻縄のもつれる如く乱れきぬれば真道彦命の御子なる日楯月鉾の兄弟(おとどい)は琉球の島に渡りて国魂

の神常楠の翁より(うづ)の赤白の玉また御鏡を授けられ其が神宝(みたから)神徳(みとく)によりてかりごもの乱れし政治(まつりごと)も治まりしこと

霊界物語(みふみ)に示しあれば ここに再び折伏(しゃくふく)摂取(せっしゅ)の言霊の神剣(つるぎ)神徳(みとく)を顕はし給ひて支那の国の邪悪(よこしま)なるたくらみごとを

祓ひ去りて元つ国振りに還えさせ給へ 倩々(つらつら)に想えば支那の国は此の高砂島が世界の五大洲の胞衣(えな)として創られし皇大神

大精神(おおみこころ)を覚ることなく自己(おの)が国に併合(あわ)せむとはかりきたりしことは()に憤どうろしきことなもある 又高砂島の民草も

支那の習慣(ならわし)に親しみつつありしはひがごとにして国祖大神また国魂神なる竜世姫命の大精神(おおみこころ)に立ち還えらしめ給ひて各自(おのも)

各自(おのも)の身魂にかかるぬば玉の雲霧祓ひ神政成就の大神業(おおみわざ)に仕え奉る身魂となし幸ひ給へ

 今度われ等豊葦原の中津国より天翔りて相共に皇大神の御経綸(みしぐみ)任々(まにまに)に台湾と日本の真の結びの神業(みわざ)完全無欠(うまらにつばら)

なさしめ給ひて平和(おだい)なる神世(みよ)をきたらせ給う大神業(おおみわざ)に仕え奉らしめ給へと 御前に種々(くさぐさ)の多米津物を供え奉りて畏み畏み

乞願奉(こひのみまつ)らくと白す

 

ラルー島(拉魯島)

 霊界物語の舞台である台湾を参加者31名で訪れた。出口王仁三郎聖師は、昭和2年から10年まで
4回訪れており、台湾を愛してやまなかったとのことだが、その足跡の一端をたどる旅となった。

「この高砂の神島は国常立命の厳の御霊の分霊を深く秘しおかれたる聖地であって、神国魂の生粋の
御魂を有する神々の永遠に集ひたまふ経綸地・・・」物語第2巻7章。

標高2000mのホテルに宿泊。

「竜の島は樹木鬱蒼として、湖中の中心に浮び、周囲殆んど一里計りもある霊島であった。」
28巻3章。 発電所を造るときに日月潭を貯水湖として湖面の水位が25mほど上がったという。
さらに99年の地震によって変化したそうだ。

「・・・清く正しき真道彦の神の子孫は今も猶栄え栄えて新高の山のあなたの神聖地
清鮮の波を湛えし日月潭の湖面を見下す
玉藻山・・・」28巻1章。

 「真道彦は遠く新高山を越えて、東南方に当る高原地日月潭に居を構え、東南西の地を教化しつつありき。
・・・竜世姫の永遠に鎮まり玉う大湖水・・・」28巻3章

◇日月潭

2009.5.15 追加訂正      桜井道彦記

嘉義より台湾新幹線で台北へ向かう

◇台北

中央のピークが玉山(新高山 標高3952m)

ご来光

 出口孝樹先生により霊界物語第28章を中心に研修会を行った。

 特に昭和2年27日の聖師の歌
「台湾よ さらば汝に別れなむ 健在なれや 吾の訪うまで」
「台湾よ ああ台湾よ別れゆく 汝を想いて 袖に涙す」が印象的だった。

研修会

◇阿里山

玄奘寺

文武廟

シロガシラ

劉さんご夫妻。
霊界物語に出てくる木茄子ではないか
という果物をご馳走になった。

多賀谷紫さんの話
 多賀谷さんは戦前台湾で育ち、王仁三郎聖師が台湾の信徒は台湾の柱になれといわれたが、
終戦の為心を台湾に残しながら日本に引上げたことや、昭和神政会や昭和10年の大本弾圧の話を聞くことができた。

劉さん宅訪問

巨大なガジュマル

南国の植物に見とれながら、しばし散策。

台中公園

戦没者の慰霊碑に参拝

弥勒大仏像(布袋様)

宝覚寺

台中

蔡氏のお話
 蔡氏は司馬遼太郎の「街道をゆく」で紹介された人物であり、台湾歌壇の代表でもある。
2005年12月8日、出口信一氏は台湾を訪れ蔡氏が1年前に石垣島からの日月の形の石
(2個)をあずかっていたが、それを中国の侵略を受けず台湾が独立を保つようとの祈りを
込めて日月潭に鎮めたとのこと。