出口信一さんを偲ぶ会 2009.10.18   報告 

 10月18日三鷹市の紗羅舎に於いて、大友英男、山崎初代、飯塚弘明さんの呼びかけで去る9月27日昇天された『出口信一さんを偲ぶ会』が行われた。参加者は20名近くで、出口孝樹さんも綾部から駆けつけて頂いた。


           


 若杉友子さんの紹介で2001か2年に信一さんと出合ったという大友さんの挨拶の後、飯塚さんの進行で10月12日に行われた出口信一さんの本葬での立教大の栗原彬先生と筑波大の一二三朋子先生の弔辞の紹介から始められた。
 信一さんが人類愛善運動を通じて栗原先生と水俣の問題に関ったことや、沖縄で慰霊祭を行った事の紹介があった。また一二三先生の弔辞で引用された信一さんが最も愛したと言う霊界物語第67巻第5章の「浪の鼓」の一説を孝樹さんに解説して頂いた。

                救世(ぐぜい)聖主(せいしゅ)()ひ難く
                 瑞霊(ずゐれい)(おしへ)聞きがたし
                神使(しんし)勝法(しょうほふ)聞くことも
                  (まれ)なりといふ闇の世に
                聴くは嬉しき伊都能法(いずののり)




 2002年から大友さんが主宰された『くにうみまつり』は毎年開催されてきた。一方、信一さんが主宰された『霊界物語勉強会』は三重県で行われたのをきっかけとして東京では2005年より青山教室で始められ、後に赤坂教室となる。
 それぞれの経過と両者のコラボレーションの歴史をたどった。

 2003年の「第2回くにうみまつり」から信一さんは講義をされている。
2005年伊豆大島の「第4回くにうみまつり」の信一さんの講義の模様を聞く。この年に町田抱一さんが企画された沙羅舎での祭式講習と、それの仕上げとして翌年2006年「出雲神楽と祭儀の旅」が行われた。『霊界物語勉強会』ではイランを訪れ素盞鳴命の本拠地である産土山ダマバンド山での祭典を行った。この年の「九州研修会」で正木高志さんが招かれ、翌2007年正木さん主宰で出雲から青森・六ヶ所村まで歩く「walk9」が行われた。この間「丹波神界の旅」で沓島・冠島の遥拝を行う。さらにこの年は「第2回霊界物語フェスティバーロ」の神劇で信一さんが日の出の神に扮して登場した。引き続き若杉典加さんの呼びかけがきっかけとなり綾部市上林の廃校で「第6回くにうみまつり」が行われ、若者中心に400人が集まったと言う。
 2008年には「全米合気道との交流」が行われた。町田さんの企画で沙羅舎に於いて「スサノオの原風景」の講演が行われ、これが信一さんの遺著の基となった。一番聴きたかった町田さんは信一さんが持って来られた膨大な資料のコピーに追われて聴くことができず、後に本ができたので安心したとのこと。「山鹿・高千穂の旅」、綾部上林での「霊界物語夏期集中セミナー」、「第7回くにうみまつり」で暑い八丈島へ行く。さらに「第3回霊界物語フェスティバーロ」と盛りだくさんの年だった。
 2009年は信一さんは参加できなかったが、信一さんが道を開いてこられた「台湾研修会」を行った。「第8回くにうみまつり」は沖縄・久高島で行われ、この時の祝詞が信一さんが書かれた祝詞として最後となった。



くにうみまつり 平和祈願祝詞

千早振(ちはやふる)る遠き神代の昔より(ちゆ)らの海と(たた)へられ四海荒塩の塩の八塩の八塩路に浄められ潮満(しほみつ)(たま) 潮干(しほひる)(たま)として此の地上(ちのうへ)宝玉(たから)もちて創造(つく)られし琉と球の島にありても()が中にいとも尊き聖き神の斎場(ゆには)として定められし此の久高島(くだかじま)に二〇〇九年九月九日の吉日(よきひ)吉時(よきとき)に国の隅々(くまぐま)各地(をちこち)より友等集ひて久高島の神人(かんみちゆ)()と共に協議(かたら)七色(なないろ)の海の彼方ニライカナイより神々を()ぎ奉りて世界()平和(やすき)繁栄(さかえ)の祈りを捧げ奉るは()にも尊き神業(みわざ)なりせば此の祈願(いのり)感謝(ゐやひ)の真心は(たし)地上(ちのうへ)に拡ごりゆき(あまね)世人(よびと)身魂(みたま)共振(ふる)ひ起こし永き眠りより目覚めしめ給ひて心を改めしめ給へ 今や地上(ちのうへ)自然界(ぬしがでのよ)災害(わざはひ)頻発(おほ)大雨(おほきあめ) 台風(おほきかぜ) 地震(なゐふる)頻繁(しきり)に起こり永き歳月を経るに随ひ人々の生活(たづき)は日に()に驕りゆき弱肉強食(つよひものがち)の世となりければ神の怒りに触るるところとはなりぬ 殊に此の沖縄の島々にては第二次大戦時日米相攻(あひせ)めぎ合ふ筆舌に尽し難き戦火に遭ひ数多の無辜(むこ)の民草は其が争ひの為に尊き生命(いのち)を落しぬるは()(すべ)せん(すべ)なき極みなりけり戦火終結の後もこの神の島は米軍の為に支配され今に至るはいと(いきどほ)ろしきことにしあれば元の平和(をだひ)なる神の島に還らせ給へ 世界を見渡せば未だ戦火(いくさ)終結(をさま)らず多勢(あまた)の人々は其が犠牲(いけにへ)となりぬ 琉・球の御祖神(みおやがみ)アマミキヨ此の斎場(ゆには)に降り来まして御威力(みちから)を現し兵士(もののふ)太刀(たち)(つるぎ)大砲(おほづつ)海底(みなそこ)(くぐ)る黒船も用なき世界(みよ)へ還へさせ給へ また核兵器が全て地上(ちのうへ)から(つひ)へ去らむことを乞願(こひね)ぎ奉り御前(みまへ)種々(くさぐさ)多米津物(ためつもの)を置き()らはして称言(たたへごと)()へ奉らくと(まを)




            


 その後は信一さんに献杯し、食事を摂りながらそれぞれの信一さんとの出会いや楽しい思い出を時の経つのも忘れるほど熱く語りあった。


 信一さんを通してこんなに素晴しい人達と出会えたことが感謝、感謝であり、この日は奇しくも霊界物語口述開始の日でもあった。


 それからも場所を変えて会は続いたとのことだった。



                                                   桜井道彦記