西田元教聖翁五十年祭 報告
                      
2008.3.4
            
3月4日午前11時より和歌山県日高郡みなべ町徳蔵 田中神社境内 聖翁顕彰碑前において

出口信一先生、出口孝樹様、御参向のもと穏やかな天候に恵まれ厳粛に聖翁五十年祭が執り行われました。


                 


西田元教聖翁 式年五十周年祭 祭文

碑の御名高々に仰ぎ奉る言巻くも畏き 大西田元教大人之命の宇豆の御前に献幣斎司出口信一 畏み畏みも白さく 八十日日は有れども三月三日の昨日(きぞ)はしも()にし八十年(やそとせ)前の昭和三年三月三日に大本の教祖(をしへみおや)瑞霊真如聖師の君 (いよ)救世主(すくひぬし)の証として五十六歳七ヵ月(みろくのみよはひ)を迎へられ天下()に立たせ給ひしを言寿ぎ奉り仕へ始められたる弥勒大祭の(いと)も畏き生日の足日にぞありける 然して汝大人之命(みましうしのみこと)には その三十年後の昭和三十三年三月三日 予てゆ宣らせ給ひし御言葉に違はず故由(ゆえよし)殊更深きその日を御一代(おほむひとよ)の限りとして天国に神去り給ひし祥月命日(おもひでのひ)にして今年はしも正に早五十年廻れる記念(かたみ)の年にし有れば汝大人之命の身命(いのち)を捧げ全ふされし神業(みわざ)を偲び奉りその高き尊き御功績(みいさをし)を称へ奉りて仕へ奉る今日の式年祭に大出口家(おほいつきのいへ)より 亦信徒崇敬者(まめひとら)諸々(もろもろ)より奉献(たてまつ)る幣帛を安幣帛の足幣帛と諾ひ聞食し給ひて 今ゆ後も弥益々に高き神の御位に昇り給ひ遠き世の守護(まもり) 神国(みくに)の重き鎮守(しづめ)と大坐し坐して 瑞霊の救世の御教を天下四方の国々里々に至らぬ隅なく宣伝ふ可くその神書(みふみ) 霊界物語を繙き修めむと日に異にその勉強会(まなび)に励む宣信徒求道者等(まめひとら)が行く手(さや)かに照し導き守り幸はへ給へと畏み畏みも白す


          



西田元教聖翁 式年五十周年祭祝詞

朝日の直射す夕日の日輝(ひが)ける此れの神奈備の本居(うぶすな)に碑高く太敷立て(いつ)磐座(いはくら)と御自ら神鎮り坐す掛巻くも畏き大天地(おほにしだ)元教(もとのり)尽至之(つくしの)(みこと)の宇豆の御前に斎主田上雅春畏み畏みも白さく御代の名を平成と称へ奉りて早二十年(はたとせ)来経(きふ)る今年はも汝大人之命(みましうしのみこと)には現世の(わざ)(また)く成し畢へ給ひて身退(みまか)り給ひしより正に五十年廻れる記念(かたみ)の年となも成りぬるに依り今日しもそが式年祭(のりのみまつり)奉修(をさめまつらむ)とす故倩々(かれつらつら)に偲び奉り追憶(かへりみれ)汝大人之命(みましうしのみこと)此の宮居の杜に出生給(あれいでたま)ひしも深き神縁(みゆかり)に依れる事にして義兄上田喜三郎こと後の大本教祖出口王仁三郎聖師の君に巡り逢ひたるも遠き神津代より仕組まれたる神定(かむさだめ)に依れる事になも有りけむ(しか)してその大本の道の基礎(もとゐ)を築く神業(みわざ)幾多(ここだ)(いみ)じき御功績(みいさをし)を挙げ給ひ将来(ゆくすゑ)をも大しく頼まれたる幹部役員(おもだつつかさ)として仕へ給ひて有り経しも何時しかその教団を追はれ数多の信徒役員等(まめびとつかさら)より醜の枉津と嘲り罵らるるのみならずその生命さへ奪はれ兼ねぬ状とは成りて心ならずも妹背の契りも弥固く鴛鴦(をしどり)の仲睦まじかりし最愛(いとし)の雪の君とも別離(わかれ) 難波の里千林に庵を結び義兄聖師の君より秘かに言与さし給へりし最重大神務(いとおもきつとめ)に残る生涯(ひとよ)を捧げ奉らせ給ふ事とは成りぬ ()くて聖師の君の神命(みこと)畏み只一筋に赤誠(まこと)を貫き太じきその神務を(はた)()へしめ給ひて自らの予言(かねごと)通り救世主(よのすくひぬし)瑞之御霊に因みたる昭和三十三年三月三日を現世の限りと何病み患はせ給ふこともなく天つ神国(みくに)に帰り坐しぬるこそ()に恐き極なりけれ 如何に三千世界の全てを救ひ給ふ皇大神の大経綸(おほみしぐみ)の任々に汝大人之命(みましうしのみこと)任命(まけられ)し二つと無き尊き使命(つとめ)とは言へ如此(かく)ばかり難く厳しき道はなも外に知る可き例も有らね 汝大人之命(みましうしのみこと)の嘗め給ひしその御聖苦(みいたづき)口惜(くちを)しきその無念(おもひ)の千々の一端だに報ひ奉り()(いさめ)め奉らばやと 斯く仕へ奉る今日の御祭には大出口(おほいつき)の家より宇豆の幣帛奉出(たてまだ)し給ふが故に()ぐしとも宇牟賀しとも受け給ひ斎代厳代(ゆしりいつしり)以ち清回りに供へ奉る豊の神饌神酒御鏡餅海川山野の種々の味津物(ためつもの)を安御饌の足御饌と聞食し相諾ひ給ひて大本の信徒等(まめひとら)は更なり広く世の人々等が汝大人之命の高き尊き神徳(みいつ)を弥益々に慕ひ仰ぎ奉らしめ給ひその御跡を偲び奉りて(をの)も各も惟神の真の道に立ち還り浦安の弥勒の御代に生くる真人(まさびと)と成らしめ給へ各自(をのがじし)家にも身にも枉事有らしめず風の()の遠き世の守護(まもり) 神国(みくに)の重き鎮守(しづめ)と大坐し坐して子孫の八十続きに至る迄 守り導き幸はへ給へと畏み畏みも白す


          



五十年祭に斉唱した神歌で霊界物語第10巻総説歌の後半の一節


  神    歌

()つの御魂(みたま)に 神習(かむなら)ひ 

三月三日(さんぐわつみつか)の (もも)(はな) 

五月五日(ごぐわついつか)の (もも)()

なりて御国(みくに)に (つく)せかし 

(かみ)(なんぢ)と (とも)にあり 

御仁慈(みなさけ)(ふか)( ) 大神(おほかみ)の 

御手(みて)()かれて 黄泉国(よもつくに)

      うとび(きた)らむ 曲神(まがかみ)

(まこと)(をしへ)の (つるぎ)もて

善言美辞(ぜんげんびじ)に 打払(うちはら)ひ 

その()その(まま) (かみ)となり

皇御国(すめらみくに)の 御為(おんため)

(ちから)(かぎ)りに(に ) (つく)せよや

      (かみ)(はな)れて (かみ)()き 

(みち)(はな)れて (みち)(まも)

(まこと)(ひと)つの(の ) 三五教(あななひけう)

(つき)(こころ)を (こころ)とし 

(つく)真人(まびと)ぞ 頼母(たのも)しき 

あゝ惟神(かむながら) 々々(かむながら) 

御霊(みたま)(さち)を (たま)へかし