霊界物語九州研修会報告   07.4.28〜29




 去る4月28〜29日の両日にわたって、熊本県山鹿市にて、九州霊界物語研修会が

開催された。新緑かぐわしい季節で、参加者一同清々しい気持ちで研修会に臨むことが

出来た。


 4月28日は午後2時開催。九州をはじめ、山口、島根、関東からも参加があり、連

休スタートの交通機関が混雑する時期にもかかわらず、29名の参加となった。

 はじめにウォークナイン(3月21日春分の日に大本島根本苑を出発して6月22日

夏至の日に青森六ヶ所村までをウォーク)で現在進行中を中座して今回の催し事にゲス

ト出演していただいた正木高志さん、奥さんのチコさん、娘さんのラビさんのトークと

ライブが行なわれた。正木さんは現在の日本をはじめ世界の自然界が病んでおりそれは

必ず人間をはじめ他の生命にも波及していることを話され、現在、その解決法として各

地に木を植える活動をされている。ウォークナインは各地に立ち寄り、木を植え、歌と

トークで自然環境の重要性をアピール。また憲法9条は世界の宝であるとの認識のもと

に、9条を国民投票がおこなわれたら改めて選び直すように提言。そして六ヶ所村の核

燃料再処理工場の稼動にたいして、多くの声を集めてノーと意思表示していこうと歌と

トークで訴えた。正木ファミリーの呼吸の合った歌声は会場に響き参加者の魂にしみ入

るようであった。

     

 引き続き出口信一先生による霊界物語入蒙記のお話がある。王仁三郎聖師は、大正十

二年八月約一ヶ月を阿蘇杖立にご滞在。その間エスペラント小事典を成作され、杖立温

泉の旅館組合から竹の杓子を160本プレゼントされ、その杓子に

   万有の 身魂を救う この釈子 心のままに 世人救えよ

   この杓子 わが生まれたる 十二夜の 月の姿によくも 似しかな

と歌を書かれ、拇印を押して”み手代”として下付された。

このみ手代を書かれた日は旧暦七月十二日であった。即ち聖師ご生誕の日である。そし

て、引き続き山鹿を訪問された。九月一日である。この日の夜同行された宇智丸氏に霊

界物語の中の”大地震”の拝読を命じられた。一目聖師さまに面会しようと思っていた

信徒は結局会わずじまいで帰途につくことになるのだが、翌日の号外で関東大震災の報

に接し、只々驚いたという。

 またこの日は山鹿市の三玉村を訪問され、そびえたつ不動岩をご覧になり、”これが

美山彦が鎮まっていた岩である”とのべられ、以後霊界物語第2巻の口絵写真に不動岩

”聖師ははみろく岩と命名”を載せる様にとのご指示があったという。

 また山麓に安置鎮座されている石創りの観音像に”みろく最勝妙如来”とご命名にな

り、大正十三年三月三日になったら現在のところへ移して祀るようにとご指示になった。

しかもお顔は”みろく岩に向かうように”ということであった。この観音像は聖師さま

と同じ高さの五尺三寸、冠を入れると五尺六寸七分となり、聖師の身がわりの感がある。

 その後入蒙記を拝読。総説の水火訓、英雄と聖雄などの章を拝読する。阿蘇杖立に立

ち寄られ、山鹿に向かわれた旅が入蒙の布石であることが浮かびあがってくる。用意周

到なる大神業であったのだ。

    


 4月29日、午前10時より、みろく最勝妙如来ご神像の前で祭典。参加者一同世界

の平和を祈願した。祭典後はみろく岩のつけ根まで登り、改めて、その巨きさに驚く。

眼下には平和な菊池平野が視界に入る。

 その後、天の目一神を祭る一ッ目神社に参拝。霊界物語では玉の井の邑にオリオン星

座から誕生する神として登場。北輝神で三大教の宣伝使である。

 


 オプショナルツアーとして杖立温泉へと向かった。

御手代歌碑を参拝。残念なことに白糸の滝の水がまったくかれていて一筋の水も流れて

いなかった。現代の地球環境の変化がここまできているのかと思うと心配である。

              

 又、来年はグレードアップした内容で、研修会を開催したいとの九州の有志の情熱あ

ふれる気概を感じた旅であった。