霊界物語九州研修会報告
                               2006.7.8〜9

 
 初めての”霊界物語九州地区研修会”が7月8−9日の両日にわたって熊本県山鹿市

を会場に開催された。台風の通過が心配されたが両日に亘って快晴となり神恩の深き幸

はいに感謝するのみである。参加者は九州内外から参集し50名を超えた。まず8日午

後2時より筑波大学の講師をしておられる一二三 朋子先生にゲスト講師としてお話を

していただく。テーマは”霊格と人格について”である。

 人格とは一般的に理解しやすいが霊格とは耳慣れない響きが一般にはある。人の品性

が問われる現代、まさしく人格を超えた霊格の向上が求められている。頻発する社会崩

壊現象より来る犯罪やモラルの低下は目を覆うばかりの今日である。そこをいかに解決

していくのか示唆にとんだお話であった。資料としてご自身の著書”神から人へ”の一

文を提供された。お人柄が参加者を惹きつけ充実した内容になった。

     
            一二三朋子先生の講和


 休憩をはさみ出口信一先生の講話となる。今回は初めて九州にての合同研修会だけに

霊界物語7巻の阿弗利加篇を中心に進められた。熊襲の国の守護職、肥の国,豊の国、

筑紫の国にそれぞれ因縁の御魂が日の出の神より守護職として任ぜられてゆく。筑紫島

は一体四面の神島とされる。龍体の頭といわれている。まさしく主神の一霊四魂と一緒

である。元をたどれば厳と瑞とのご神縁によって守護されていて其の大地は金勝要神の

守りによっている。九州はその一霊である純世姫が国魂神として鎮まっておられるので

ある。それぞれの守護職の神は金勝要神を鎮祭するとある。

 さて山鹿と聖師のご因縁であるが聖師は大正12年8月12日より阿蘇の杖立にごと

う留になる。杖立では御手代をおだしになる。”万有の身魂を救うこの釈氏こころのま

まに世人救えよ””此の杓子わが生まれたる十二夜の月の姿によくも似しかな”とお歌

を詠まれ御手代に揮毫され宣伝使にお渡しになった。奇しくもこの年八月二十三日が旧

暦七月12日で聖師の誕生日であった。杖立から山鹿へお越しに成ったのが九月一日。

その日霊界物語三十一巻第二章の大地震をお付で同行されていた娘婿のうちまろ先生に

拝読を命ぜられる。翌日号外で関東大震災を知ることになる。同日同時に震災が東京で

勃発していたのであった。

          
   御手代歌碑                     
    万有の身魂を救うこの釈氏       この杓子わが生まれたる十二夜の
     心のままに世人救へよ         月の姿によくも似しかな
       
             
                  白糸の滝


 翌日9月2日に三玉村を訪れ聖観音像と出会われる。聖師がお見えになるのを待ちか

ねたように動き始めたという。それを手で制止されたところその手の跡がつきの形とな

って観音像の胸にいまだに残っているという。いまは不動岩のほうに面をむけて建って

いる。不動岩は霊界物語2巻の挿絵として収録されていて美山彦後の名前言霊別命が鎮

まっていた岩でロッキーの雛形となっている。



私たちは出口 信一先生祭主のもと祭典を執り行った。地元菊池からは正木高志さんと

奥さん、そしてラビさんの家族で参拝された。祭典終了後は奉納として正木ファミリー

によるライブコンサートが開かれ天国の雰囲気を満喫することが出来た。参加者は不動

岩のそばに行って礼拝をした。はじめてこの景観を見る人には驚くばかりの巨岩で圧倒

される。太古の時間にタイムスリップしたように思えるから不思議だ。

 阿蘇の杖立まで行く人とここで別れる人と最後の別れを惜しんでそれぞれに進路をと

った。また来年是非再会したいものだ。新しい仲間とともに。





    祝詞 (7月9日)

 はるかに大阿蘇の峰を望み其が源より湧き出で流れる菊池の河はいで湯の街をたゆた

いて千早振る神代の太古より絶ゆることなく穀物(たなつもの)を稔(みのり)り豊か

に育みし此れの甘しき里瑞の御魂に由緒(ゆえよし)深き三玉(みたま)村に底津岩根

より聳えたつみろくの巨岩(おおいわ)を仰ぎ見る此れの処を祓い清め 掛巻くも綾に

恐き弥勒最勝妙如来(みろくさいしょうみょうにょらい)の宇豆の大前を忌廻り清廻り

て慎み敬ひ恐み恐みも白さく

 今度瑞之御魂大神の神言(みこと)なる霊界物語(みふみ)を学びし道の友達聖師の

岐美(きみ)の深き経綸をなし給いし聖地(すがど)なりせば其が聖跡をたどりて参来

おろがみ気たりぬ 皇大神の授け給ひし奇魂(くしみたま)の光もて其が経綸解き明し

給ひてわれらを弥益に導き道の奥義を悟らしめ各自各自の御魂もて烏羽玉(ぬばたま)

の闇のよの一筋の灯明(ひかり)と成し幸へ給へと御前に種々(くさぐさ)の多米津(

ためつ)物捧げ奉りて称え言おえ奉らくを聞し食し給ひて御祭り美しく仕へ奉らしめ給

へと白す

 つらつらに想いおこせば大正十二年八月二十三日瑞霊真如聖師の岐美生誕(あれいで

)給ひし旧七月十二日阿蘇杖立の地にて瑞御魂の御手の代わりとなる神器を顕し”此の

杓子わが生まれたる十二夜の月の姿によくも似しかな” ”萬有の身魂を救うこの釈氏

(しゃくし)心のままに世人救えよ”と御歌宣らせ給ひ身と魂の救済(すくい)の神業

(みわざ)はもとより平和(おだい)なる御世を樹立(たて)むと皇大神の手となり足

となりて立ち働く真の神の宣伝使(みつかい)に授け給ひぬ 杖立の神業(みわざ)な

し終え九月一日には此れの地に入りて供の者に霊界物語三十一の巻き第二章大地震の拝

読を命じ給へば時を等しくして天地(あめつち)を揺るがす関東大震災起こり 伊寄り

集ひし諸人等は今更の如く聖師の岐美の教示(しめ)されし霊界物語(みふみ)の経綸

(しぐみ)に驚きぬ 翌二日三玉村を訪れ給ひて此れのみろく観音像に向かいて御魂を移

しければ聖師の岐美を待ちわびしが如くに動き始め止められし御手の跡其が胸に月の形と

顕れ今に残りてありしは実(げ)に奇微(くしび)に妙なることにして直に此れの神像に”

弥勒最勝妙如来と名付け給ふこことはなりぬ 殊(こと)に御前に雄々しくみろくの巨岩

(おおいわ)は神代の昔美山彦命後の御名言霊別命に神縁(ゆかり)深きロッキーの聖山

の雛形にしあればみろく岩と名付け給ひける 三千年(みちとせ)の永き時代(ときよ)

を耐え忍びみろく神政成就のために蔭に隠ろひて大経綸(おおみしぐみ)進め給ひたる地

(ところ)なりせば聖師の岐美此れの処を踏みおきて明くる大正十三年甲子二月十二日綾

の聖処(すがど)を出発(たちいで)神スサノオの尊の御跡たどりて唐野が原なる蒙古の

地に現身(うつそみ)をもて渡り給ひて世界救済(たすけ)の大神業(おおみわざ)にい

そしみ給ひければ太白星の御守護(みまもり)厚く 身に五大天紋を印(しる)し珍(う

ず)の聖痕(せいこん)顕れ出で みろく最勝妙如来 伊豆能売大神の化身とならせ給ひ

て救い主 贖い主の証し顕はし給へばわれ等にも其が御魂分かち給ひて負ひ持てる天職

(みわざ)を覚らしめ活言霊(いくことたま)の威力(ちから)を授け給ひて世の清めの

塩となし幸はへ給へと畏み畏みも乞祈(こいの)み奉らくと白す