8月11日各地より喜界空港に17名が集合。全員喜界島は始めての訪問者であ
る。聖師様は奄美諸島が日本の胞衣(えな)であると述べられている。即ち日本
の原型、雛形という意味である。昭和3年旧1月22日聖師様は奄美大島からこ
の喜界島に立ち寄られた。喜界島には艮(ウシトラ)之金神の妻神である坤(ヒツ
ジサル)之金神がご隠退されたところとされている。当時宮原山には海のかなた
から目印になるような大木の金字松が聳え立っていたという。現在は枯れてし
まっているのだが。今回は喜界島で霊界物語の勉強会が始まるのを記念して宮原
山で祈願の祭典を執行した。勉強会の主体は喜界島の東郷茂雄さんである。3時
から宮原山の神声歌碑を前にして祭典が挙行された。コンサートのため訪問中の
沖縄の喜納昌吉さん(ミュージシャンであり現在参議院議員)も参拝され玉串を
奉奠(ほうてん)をされた。喜納さんともこの遠い喜界島で久しぶりに旧交を温
めることが出来た。
祝詞文
南海の大海原に太古の姿のままに浮かぶ此れの一つ島瑞之御魂に神縁(ゆか
り)深き喜界島の宮原山の清処(すがど)をしばしの斎庭(ゆにわ)と祓い清め
て永遠(とことは)に神鎮まります掛け巻くも綾に恐(かしこ)き大天主太神
(おおもとすめおおみかみ)また坤金神 豊雲野大神(とよくもぬのおおかみ)
の御前を出口 信一伊忌廻(いまわ)り清廻りて恐み恐みも白(まお)さく
日の本の南の果てに皇大神(すめおおかみ)は大八洲(おおやしま)の国土
(くに)神実(かむざね)として奄美の諸島(しまじま)を創化(つく)りおき
て更に日本を世界に移写(うつ)して五大洲を創造(つく)り蒼人草等(あおひ
とぐさら)を始め生きとし生けるものすべてを創りなし花咲き実り鳥はうたい穀
物(たなつもの)豊かにして五風十雨(ごふうじゅうう)の障(さわ)りなき神
人和楽の国土となし給(たま)ひぬるは実(げ)に尊き大神業(おおみわざ)なれ
しかはあれど世の進展開発(すすみひらけ)ゆくにしたがいて邪神(まがか
み)達はびこりきたりて国の御祖神(みおやがみ)国常立尊(くにとこたちのみ
こと)を国の艮(うしとら)に封じおき其(そ)が妻神なる豊雲野尊は国の坤
(ひつじさる)なる此れの喜界が島の宮原山に夫(つま)に随(したが)い隠れ
給ひぬ実(げ)に哀しき僻事(ひがごと)になもある
三千年(みちとせ)の永き時代(ときよ)を此れの大海原の一つ島に耐え忍び
てありしが主の大神の契約(ちぎり)によりて夫(つま)神の再び顕界(うつし
よ)に顕(あ)れ出で給ふ時代(時よ)めぐり来ぬれば聖師に岐美(きみ)には
千早振(ちはやぶ)る神代からの因縁(えにし)によりて昭和三年旧一月二十二
日奄美大島にたちより給ひて後金波銀波(きんぱぎんぱ)百波千波(ももなみち
なみ)を救いのみ船にて波乗り切りて喜界島に高く聳(そび)ゆる金字松を目標
(めあて)に到着(つき)給(たま)ひ”世をおもふ心のふねに棹(さお)さし
て 宮原山にはるばるわが来つ”とみ歌詠み給ひて昭和七年十二月十九日神声歌
碑として標(みしる)しを此れの処に建立(たて)給ひぬ
今度(こたび)道の友等此れの神島にて聖師の岐美の口述(のべ)られし天地
(あめつち)の統一主神(すめおおかみ)の神言(みふみ)なる霊界物語を学び
始めることとなりぬれば弥益々(いやますます)に恩頼(みたまのふゆ)を蒙
(かかぶ)りて天津神より授かりし直魂(なおひのみたま)によりて正しく覚ら
しめ給へ奇魂(くしみたま)の光輝(ひかり)によりて各自(おのもおのも)の
天職(みわざ)を覚らしめ給ひて大本聖団(おおもとぐに)は言うも更(さら)
なり荒魂(あらみたま)の働きもて邪神(まがかみ)の伊猛(いたけり)
狂(くる)ふ常闇(とこやみ)の世界(よ)を立替え立て直す大神業(おおみわ
ざ)の仕えしめ給へ 又幸魂(さちみたま)の愛(めぐみ)によりて各自の精神
(こころ)に天国(あまつみくに)を開かせ給ひて常に春風のそよ吹く心地あら
しめ給ひて和魂(にぎみたま)の完全(まった)き働きによりて平穏(おだい)
なる神世(みよ)を到来(きた)らせ給ふ皇神(すめかみ)の天使(みつかい)
として立ち働かしめ給へと御前に種々(くさぐさ)の多米津物(ためつもの)を
捧げ奉(まつ)りて畏(かしこ)み畏(かしこ)み畏(かしこ)みも白(まお)す
宮原山祭典
祭典終了後会場を喜界島第一ホテルに移して霊界物語第一巻18章霊界の情勢
と22章の国祖御隠退の御因縁の二章の勉強会が行われた。夕食会には参加者の
自己紹介が行われ初めて会った仲間とこれから二泊三日の旅の始まりとなった。
夜は喜納さんのライブコンサートへ参加。東郷さんの二人のお嬢さんもジョイン
トでコンサートに参加。歌がうまいのには驚きであった。来年の霊界物語全国研
修会では是非愛善歌を歌っていただきたいものである。
翌12日は奄美大島へ移動。喜界島から約10分の飛行時間で到着。上空から
みるサンゴ礁の海はコバルトブルーで実に美しい。機内から俯瞰する景色はまた
格別である。
空港には祷 国幸さんが出迎えていただいた。奄美の民族博物館と田中一村美
術館を見学。奄美の自然や歴史を学んだところで名瀬に移動して聖師さまが登拝
されや御神山に登る。八合目に昭和天皇が登られた記念碑がある。実は聖師様が
御神山に登られた時にある出来事があった。というのは聖師様は山の頂上までお
駕篭で登られたのであるが、地元から”天皇様が登られた上を王仁三郎は駕篭で
登った。けしからん!というものであった。すぐさま聖師様は新聞社に自ら出向
き"天子さまの登られた上を足で踏みつけるのは申し訳ないから駕篭に乗って登
りました”と弁明されたのである。これで問題は一件落着となった。聖師様らし
いエピソードであるが第一次大本事件の余波がまだ残っている時でもあった。
13日は奄美の原生林をツアー。深い南国の原生林の植物に歓声をあげた。巨
大なへゴの並木やくわずいも、また芭蕉やソテツの群生地。自然界の豊かに残っ
ている奄美大島の旅は色んな学びとなった。また何時の日にか再訪したいところ
である。
物語勉強会風景 喜納昌吉氏と共に
名瀬の湊を背景に
2006.8.11〜13